史跡めぐり 平泉~衣川、つわものどもが夢の跡(1)

JaSST Tohokuへ行ったついでに平泉、衣川へ行ってきました。ちょうど今年は大河ドラマでも平泉が出てきたこともあって一度訪れてみたかったのです。せっかくなので一日がっつり観光してきました。むしろ一日では足りなかったので再訪したい。

平泉駅

駅前にレンタサイクル屋さんがあるので、一日予定でレンタルします。こちらでは自転車借りたら手荷物は無料で預かってくれます。これを知らずにコインロッカーに預けてしまった。。。
普通の自転車と電動アシスト付きのものが選べますが、体力に自信のない方は無理せず電動アシスト付き自転車を借りるのがお勧めです。平泉中心部以外にも足を延ばす予定があったり、中尊寺から毛越寺へ近道を通る場合には結構な坂道を通ります。

この日一日お世話になった電動アシスト付き自転車。とてもアシストしてもらった。

伽羅御所跡

まずは平泉駅にほど近い伽羅御所跡へ。こちらは現在住宅地になっていますので案内板くらいしかありません。

伽羅御所跡の案内板

柳御所跡、平泉ガイダンスセンター

案内板を通過して柳御所跡と平泉ガイダンスセンターへ。

ガイダンスセンターの裏側の外観(表の道路側からの外観は撮り忘れました)

こちらで平泉の歴史の概要が学べます。施設も新しくきれいで、入館料無量、なんと音声ガイドも無料で貸し出していただけました。出土品の展示や映像資料も充実してて一時間くらい見いってしまいました。
私は源義経から平泉に興味を持ち、それ以前の安部氏や藤原三代にはあまり詳しくなかったので、こちらで平泉の歴史を学べてよかったです。

特に奥州藤原氏の初代である藤原清衡については知っておくとよいと思います。

清衡が建立した中尊寺の願文の中に建立にかけた思いを想像させる一節があるので、長いですが引用します。

この鐘の一音が及ぶ所は、世界のあらゆる所に響き渡り、苦しみを抜き、楽を与え、生きるものすべてのものにあまねく平等に響くのです。(奥州の地で は)官軍の兵に限らず、エミシの兵によらず、古来より多くの者の命が失われました。それだけではありません。毛を持つ獣、羽ばたく鳥、鱗を持つ魚も数限り なく殺されて来ました。命あるものたちの御霊は、今あの世に消え去り、骨も朽ち、それでも奥州の土塊となっておりますが、この鐘を打ち鳴らす度に、罪もな く命を奪われしものたちの御霊を慰め、極楽浄土に導きたいと願うものであります。

中尊寺落慶願文 より現代語訳版をお借りしました)

藤原清衡は結果的に最後まで生き残ったことで、その過程で色々見たり、どうしようもなく飲み込んだことなどもあったのだろうなあと思われます。願文はもっと長いのですが、個人的にこの部分が一番言いたいことだったのではないかと思っています。ガイダンスセンターでは、この願文の解説のほかにも藤原三代をダイジェストで紹介する映像資料などもあり平泉を巡る予習にばっちりです。

また、ガイダンスセンターのすぐそばの柳の御所跡は柱の跡とかがほとんどなので、ここの解説で当時を想像するヒントになります。
さて、予習を終えてガイダンスセンターの裏手に出ると、そこから柳の御所跡が広がっています。堀や建物の柱跡が復元整備されており、大変広大で当時を偲ばせます。

復元された堀。水のない空堀だったそうです。
中心建物と考えられるあたりの柱跡


御所の池の跡も復元されていました。

池の跡。ガイダンスセンターで見た情報によると池は改修工事があったらしく、復元されているのは初期のバージョンの池だそうです。

ちゃんとごみ処理施設、穴掘って埋めただけのものだけど、もあって、ここで生活していたんだなーという妙な感慨がありました。

汚物廃棄穴群。分かりやすく復元されているのは4つですが、もっとあったらしいです。

高館義経

源義経最後の地・高館があったといわれるところです。北上川を見下ろせる高台の上にあり、小さな資料館と義経堂があります。松尾芭蕉の「夏草やつわものどもが夢の跡」という句でも有名な場所で、句碑もありました。

義経の木像が祀られてるお堂
高館から眺めた北上川。「夏草や つわものどもが 夢の跡」

義経最後の地がどこかは確定してないらしいのですが、ここの高台は館を建てるにはあまりスペースなさそうに見えました。(個人的には、この後にめぐった接待館の方が何となくそれらしい気がします)

衣川地区 接待館

平泉から衣川を越えて衣川地区に向かいます。衣川という地名について深く考えたことはなかったのですが、衣川という川があってその川が流れているあたりの地名も衣川というようです。衣川(川の名前)を挟んで南側が平泉、北川が衣川地区となっています。

衣川(川の名前)。奥の方に見える山には5月末でまだ雪が残っていました。

衣川を越えてから、しばらく衣川沿いに自転車を走らせると接待館跡に着きます。一見すると普通の野原のように見えるので、案内板がなければ見過ごしそうになります。

接待館跡の案内板。発掘で明らかになった内容が解説されてます。

案内板によると、発掘で土塁や宴会に使う「かわらけ」が大量に出土し重要な施設だったことが分かったとのこと。今は見学しやすく草は刈られていますが野原になっているので、ここでも兵どもが夢の跡感を味わえます。

案内板の背後に一段高くなってる部分がありました。発掘終わった後に保護のため埋めた?
この下に接待館の遺構が埋まっています

ちなみにこの接待館近辺は当時市が立って賑わっていたあたりだそうで、衣川七日市場という地名が残っています。

衣川地区 伝並木屋敷跡

接待館から少し自転車を走らせると、伝並木屋敷跡に到着します。こちらは奥州藤原氏の前に東北に勢力を持っていた安部氏の館跡と伝わっています。前九年の役で衣川の柵が落ちるときに源義家と安部貞任の「衣のたてはほころびにけり」「年を経し糸の乱れの苦しさに」のやりとりに詠まれた「衣川の館」ですね。
衣のたての話は、こちらの 『古今著聞集』 衣のたて | 二階の窓から に詳しく紹介されていますのでぜひ。

伝並木屋敷跡の案内板

案内板によると昔は桜並木に囲まれており、政治の中心だったそうです。今はほぼ田んぼと畑になっています。

接待館から並木屋敷までの道沿いにあった田んぼ。この時期の田んぼは空が映りこんで綺麗ですね。

※ちなみに平泉は観光地ですが、衣川に入るとほとんど田園と住宅になるので自販機とかお手洗いはなくなります。接待館と伝並木屋敷跡だけ程度であれば自転車なら一時間程度で回れますが、他の遺構も回りたい場合はご注意ください。駐車場もあまりないので自転車が一番便利だと思います。

中尊寺毛越寺にも行ったのですが、ちょっと長くなったのでに別記事に分けます。