城めぐり 北条氏の築城術の集大成・山中城と三島市内の北条氏関連史跡

お城好きには畝堀(うねぼり)・障子堀(しょうじぼり)で有名な山中城に行ってきました! 山中城の麓の三島市内でも後北条氏ゆかりの地を巡ってきたので旅の記録をまとめます。

山中城

お城の概要

バスは30分~1時間に1本くらいの頻度であり、バスですぐ近くまで行ける公共交通機関ユーザーにもやさしいお城です。
三島駅から行く場合は、三島周辺の観光に使える一日バス乗車券「みしまる切符」がお得でした(2023年3月現在)

見どころ

まずはお城の全体像はこちら。

要所ごとに案内図や説明の看板があって見やすかったです
西ノ丸

全体的に西側の防御にすごく力を入れて構築されています。有名な障子堀があるのもこちら。お時間あまりない方は西ノ丸を重点的に見ていくのがお勧めです。

障子堀!

区切られた区画の中に落ちた敵を上の西ノ丸から狙い撃ちにでき、畝(うね)の上にいる敵も進行方向が限られるので西ノ丸から狙い撃ちにできるという、非常に堅固な構造です。えげつない防御構造してるし、この城を一日で落城させた豊臣方の物量はさらにえげつないですね。

障子堀の実物を見るとかなりの急傾斜なので、一度堀底に落ちると這い上がるのは無理だと思いました。今では保護のために芝が貼ってありますが、当時は滑りやすい関東ローム層の土がむき出しだったそうです。

大雨の被害で一部崩落している箇所ですが、関東ローム層の土がむき出しになっている部分で往時がうかがえます。土がむき出しの部分はとてもじゃないけど登れる気がしない

西ノ丸に接する西櫓は角馬出になっており、攻撃に出るときの備えもされています。

看板の図と解説が分かりやすい

山中城は西側が駿河方面、東側が北条の本拠である小田原になります。基本的に西からくる敵に備えた構造で、西の三島市街が良く見渡せました。晴れてれば富士山もよく見えるはずです。

写真だと雲に隠れてあまり分かりませんが、富士山の裾野部分が見えてます
北ノ丸

こちらの見どころは、城内と城外を隔てる北の丸堀。当時の堀底は今より2メートル以上深かったそうです。埋まってる状態でも深さ5~6メートルはあるように感じましたし、角度も急峻。60~70度はあるんじゃないかな。土だけでこの急な堀を構築するのは見事な技術だそうです。ここをよじ登って攻めるのはほぼ不可能だったんじゃないでしょうか。

写真だと伝わりにくいですが、傾斜角度と高さがやばい

本丸との間には木橋が復元されています。現地の看板によると考証の元で復元されたものだそうです。本丸への経路はいくつかありますが、いざというとき壊して時間を稼げるように木橋になってるところが多いようです。二ノ丸から本丸への経路も確か木橋+土橋だったはず(現地で二ノ丸に行きそびれるという痛恨のミスをしたため、確認できていません)

右側が北ノ丸、左側のちょっと高くなってる方が本丸
本丸

山中城の一番重要な施設で一番標高も高くなっている区画です。本丸内にはさらに一段高くなっている天守台があります。櫓があったと考えられているけど、後世の植樹の跡により発掘調査では確認できなかったそうです。

天守台から本丸を臨む。本丸は何段かに区切られたかなり広い平地が設けられています。

本丸は広い区画があり、かなりの兵力を備えられたと思われます。建物の跡なども見つかっているそうで、山の中でこれだけの平地をよく整地できたなと思いました。障子堀のところでも思いましたが、結構な山ですし土木工事大変だったでしょうね。ほぼ人力(+牛馬)でよくこれだけのものを築いたものだと思います。看板の説明に合った出土品を見ると硯とか坏といった生活用品も見られ、ここで北条方の人たちが駐屯して生活もしていたことが窺えます。

本丸には兵糧庫、弾薬庫があったと伝承されているそうです。看板の後ろに見える溝は排水溝と考えられているそう
三の丸

現在こちらの郭跡には宗閑寺というお寺があります。ここの境内に山中城城主松田康長以下北条方の兵や、豊臣の先鋒一柳直末のお墓が祀られています。

宗閑寺

お墓の写真は撮っていませんが、新しめのワンカップなどがお供えされており今でも大切にお参りされている様子がうかがえました。

岱崎出丸(たいざきでまる)

本丸のある区画から旧東海道を挟んで南の方に伸びている出丸です。西ノ丸同様、三島市街地方面が良く見えます。

手前は畝堀、遠くに見えるのは三島市街、右の方に見える建造物はドラゴンキャッスルという巨大アスレチックだそうです

ここは畝堀が見事でした。たまたま何かの作業中だったらしく写真に梯子が映ってますが、見えている部分で11段あることからかなり深さのある堀であることが分かります。

かなりの急傾斜。60~70度はありそう

ここには造成工事中のままと思われる郭の跡もあり、急ピッチで豊臣方の来襲に備えていたけど間に合わなかった様子などもうかがえました。

案内所・売店

山中城跡バス停のすぐそばに案内所・売店があり、百名城のスタンプや御城印はこちらでいただけます。うどんやそば等の軽食も売っていて、名物の寒ざらし団子を食べてきました。障子堀の見た目でワッフルを連想される方も多いと思いますが、障子堀ワッフルという商品も売ってますw(中身は普通の美味しいワッフル)

草団子は甘めの味噌だれ、白いお団子は抹茶塩でした。抹茶塩、意外と団子にあう!素朴で美味しかったです

三嶋大社

伊豆国一宮で北条氏も尊崇していた三嶋大社にお参りしてきました。

ちょうど桜が見ごろでした

建物等に後北条氏の時のものはあまり残ってないのですが、宝物館で後北条氏が発給した書状が見られます。私が行ったときは鎌倉殿の特別展示をやっていて、鎌倉時代の北条氏の書状や源頼家直筆書状等も見られました。特に源頼家の直筆書状は現存しているものがほとんどないそうで、見られてラッキー!

名物の福太郎餅もいただいてきましたよ。

境内の売店でお茶付きでいただけます。上品な甘さで美味しかった

祐泉寺

Google mapで「北条新三郎の墓」と表示されていたのが気になって行ってみました。北条新三郎は北条早雲の孫(幻庵の息子)で、武田信玄駿河に侵攻したときに北条方の前線の城・蒲原城を預かって戦死したそうです。

祐泉寺の門前

私が行った日はお彼岸だったので、地元の方がお墓参りに来られていました。自分のところのお墓のついでかなにかで、北条新三郎のお墓にもお線香をあげていていらっしゃったのが印象的でした。もしかしたらゆかりの方かもしれませんけど、お墓とかが地元の方に大事にされてるのっていいなと思います。

案内板もしっかりある!

千貫樋

北条氏康が娘の早川殿が今川氏康に嫁ぐ際に、婿引き出物として作った用水路が千貫樋です。伊豆と駿河の国境である境川をまたいで、駿河方面の130haを潤しているとのことです。このエピソードを聞いたときに、娘の結婚祝いに土木工事して用水路プレゼントって、氏康公は娘を溺愛しているなあと印象に残っていたので、一度実物を見てみたかったんですよね。

千貫樋の説明

国境の川とあったので境川は広いイメージだったのですが、現在は住宅と住宅の間をひっそり流れている感じでした。この川は現在も三島市と隣の駿東郡の境界みたいです。人のお宅の合間から千貫樋をのぞいてきました。

人のお宅の間からのぞける千貫樋

ちなみに千貫樋は静岡県の土地改良施設一覧に現役で載っております。
東部地域施設概要:千貫樋|静岡県公式ホームページ


山中城以外は徒歩で巡れる範囲内にあるので、三島市内の湧き水とかきれいな川を堪能しながら史跡めぐりができて楽しかったです。

源兵衛川の遊歩道