そうだ、高野山行こう -奥の院-

奥の院高野山を開いた弘法大師が今なお修行を続けておられるという地です。高野山自体が聖地ですが、ここはまた別格で厳かな雰囲気でした。奥の院の近くまでバスでショートカットもできるようですが、一の橋から歩きで行くのがおすすめです。

2キロにわたって続く杉の木立と墓石群は圧巻ですよ。墓石は約二万基もあるそうで、数もすごいし、各大名家のものは高さ3メートルくらいありそうで、大きさに圧倒されます。お参りさせてもらう、という気持ちはしっかり持ちつつ、知ってる歴史上の有名人の墓を探しながら行くのも面白いし、ちょっと奥まったところにも墓があるのでメインルートから外れて墓参りするのもまた面白いです。

一の橋からすぐのところに仙台伊達家の墓、ちょっとルート外れたところに山口毛利家の墓がありました。

しかし、毛利家の墓大丈夫でしょうか?倒壊防止?でも毛利家の墓は離れたところにももう一箇所あり、そちらはちゃんと整備されてるようでした。仙台伊達家の墓とは別に伊達政宗の墓は単独でありました。薩摩島津家の墓も2箇所くらいで見かけたし、歴代の人々が好き勝手に墓を作った結果、子孫は正確な位置や数を把握してないとかありそうです。歴史上の有名人だと墓または供養塔が幾つもある人いますからね。

さて、奥の院には小早川隆景(毛利元就の三男)とその奥方のお墓があるという情報を入手していたので、これはお参りせねば!とまずは墓を探すところからスタート。なんとか見つけることができました。大雨のおかげで墓までのルートの難易度が上がってましたが、根性でお参りしてきました。

お墓はだいぶ磨耗してましたが、小早川の文字は判別できましたよ!目当てのお墓に参拝できてよかったです。お墓の位置が分かりにくいためメモしておくと、一の橋から奥の院へ向かっていく場合、道中右手に岩国吉川家の墓があります。

マップには出てませんが、大きい墓石があり、「周防 岩国吉川家墓所」と案内標があるので比較的見つけやすいはずです。周防岩国の吉川家は吉川元春(毛利元就の次男)のご子孫ですね。その墓所を少し過ぎた辺りの左手を探すと、分かりやすいかと思います。「陸軍兵長・三野由一之」氏のお墓の角を曲がり、突き当たりにある龍泉寺墓地の右端奥にありました。隆景の墓には案内標の類は一切ありませんので、これを紹介してくださった記事に感謝です。

武田信玄、勝頼のお墓と上杉謙信、景勝の霊屋はすぐ近くにあります。

ほぼ向かいだと聞いていたのですが謙信のが見つからず探してみると、参拝ルートを少し外れたところにありました。

雨のおかげでそこへ至るまでが軽く沢と化していたため、途中で登るのを断念。

有名武将、大名家の墓が目白押しですが、そこに混じって伊予河野通直のお墓があったのに驚きました。

割とマイナーな人の上に、この方が伊予河野家の最後の当主なのでご子孫の建立とも考えにくいのです。ちなみに河野通直は、毛利元就のひ孫にあたります。毛利元就の長女、五竜局の娘が伊予の国に嫁いで産んだ子が通直です。なぜここにお墓が? 謎ですねえ。

こんな感じで時々ルートを外れながら奥の院へ進みます。奥の院手前にはお茶どころがあり、無料でお茶をいただけます。ありがたい。開基1200年記念のゆるキャラ、こうやくんもいました。

写真撮り忘れたのですが、このお茶は昔ながらの竃に巨大な茶釜がかかっており、そこから柄杓でやかんに汲むようになっていました。茶道以外で現役で動いてる茶釜(しかも巨大)は初めて見ました!

この茶どころで時々高野山のお坊さんが時々法話をしてくださいます。偶然、行った時に最後の方を聞けたのですが、「何か嫌なことがあったり、頑張っても結果が出なかったりすると、『もう懲りた』と諦めがちですが、そんな時こそ『忘己利他(もうこ・りた)』と人のためになることをしてみてください」と仰っててなるほどな、と思いました。これと同じ意味のこと、職場でもよく言ってもらうんですよね。特に調子の悪い時に。自分が、自分が、ではダメなんですよね。なかなか難しいけれど、忘己利他を目指して頑張ります。

茶所から奥の院はすぐです。玉川という清流があり、それにかかる橋を渡ると弘法大師空海が今でも修行を続けているとされる聖域です。撮影禁止のため写真は一切ありませんが、橋を渡ったところから信仰の場という感じが一層強まって厳かでした。空気が冷やりとして澄んでるんです。堂内はずっと昔から高野山を信仰してきた人々が奉納してきた灯や小さい仏像などが整然と並べられています。千二百年の歴史はさすがでした。私も灯明を捧げて参拝、背筋が自然と伸びました。

帰り道に景教碑を発見。

景教というのはゾロアスター教のことで、現イランの近辺で確か5〜6世紀あたりに信仰されてた宗教ですね。もっと古かったかも。高校で世界史Bを選択した人には、唐の都、長安景教碑があったことでお馴染みです。日本の高野山にも碑があって驚きました。空海さんは唐に留学していたから、景教に触れる機会があったんでしょうか。高野山は思ってたよりさらにグローバルでした。